チョン・ドヨン。 チョン・ドヨンのプロフィール ・インスタグラム・出演ドラマ・映画

【2020年版】韓国映画 ベッドシーン おすすめ〈ベスト3〉 キムヘス・チョンドヨン・イミスク 女優対決【はまり過ぎ注意】

チョン・ドヨン

本名 キム・ドンヨン 生年月日 1996年2月1日 血液型 B型 出身地 韓国 京畿道 九里出身 身長 179cm 好きな食べ物 クリームチーズパン、スイカ、ポップコーン、マンゴー風味のお菓子、ホワイトチョコレート、桃 趣味 フルート演奏 好きな色 青 好きなアーティスト エリック・ベネイ 好きな俳優 イ・ナヨン 尊敬する先輩 EXO D.O ドヨンは2013年のSMキャスティングシステムで合格、SMエンターテイメントに入社します。 入社して最初に出会ったのがあのEXOのカイさんなんだそう。 違うグループでも接点があるんですね! ちなみに 同じくEXOのディオさんを尊敬しているそうです。 彼は歌だけではなく演技でも定評があり、その話し方が魅力的だと語っていました。 ドヨンもNCTの中ではメインボーカルを務める実力者なので、 いつかディオとデュエットしたいそうですよ! 別記事でも紹介しましたが、デビュー前にも関わらず同じくメンバーのジェヒョンと一緒に 「SHOW CHAMPION」という音楽番組のMCを務めていました。 つまり歌えるし喋れるしMCも出来るという、かなりマルチな才能を持っているということになりそうです。 実は知らない方も多いようなのですが、韓国は非常にクリスチャン率が高いようで、 ドヨンもクリスチャンの一人です。 兄も芸能人! 実はドヨンの2歳年上の兄も同じく芸能活動をされているんです。 そのお兄さんは俳優グループの「5urprise」(サプライズ)のメンバー、コンミョンさんです。 名前 Gong-Myung コンミョン 生年月日 1994年5月26日 身長 183cm 体重 63kg 事務所 ファンタジオ コンミョンさんは、 ドラマ「華政」「美しいあなた」などで活躍するイケメン俳優なんですね。 ドヨンもかわいらしい顔していますし、容姿端麗な兄弟でうらやましい限りです。 顔はお兄さんのほうが、いわゆる「塩顔」でしょうか? あっさりしている印象は兄弟ともに同じのようです。 最近では Girls DayのヘリとTeentopのエルジョーと一緒に写っている写真を見た方も多いのではないでしょうか? ドヨンは今は歌手活動が中心ですが、その内ドラマなどにも進出したら兄弟の共演があるかもしれないですね! 実は日本向けの番組内で、コンミョンさんが弟を紹介しています! 兄弟のきずなを感じますね。 でも忙しくてあまり会えていないようです。 ドヨンも整形している? それでは、そんなかわいらしい印象の ドヨンは整形しているのでしょうか? 過去の写真を見ていきましょう。 いかがでしょうか? どうやら目があやしい気がしませんか? というのも、この3枚の写真を見る限りドヨンの目は一重のように見えますよね。 顔の輪郭はどちらかというと今とおなじ面長に見えます。 現在の方がシャープに見えますが、これは現在の方が痩せているからという予測ができそうですね。 では現在の顔のアップを見てみます。 どうでしょう? 目がはっきりとした二重ではなく、奥二重であることがわかりますね。 これはかなり怪しいですね、 本当に少しの変化ですが整形の可能性が強いと言ってもいいのではないでしょうか? 過去の写真がものすごくアップなものがあるわけではなかったのでグレーとも言えますが、明らかに現在の方が輝いて見えますね! スポンサードリンク 過去の恋愛や彼女の存在は? それではドヨンの過去の恋愛や彼女の噂はあるのでしょうか? 調査しましたがこれといって情報がありませんでした。 今のアイドルはとにかくよく管理されているので、ましてやデビューして間もないということもあり情報が流れていないようです。 熱愛報道が出るなら今後になりそうなので、ファンの方はやきもきしているかもしれません。 最近のSMエンターテイメントはかなり潔く 熱愛報道を認める傾向にあるのでデビューからもう少し時間がたてばまた新たなスキャンダルが出てくるかもしれないですね! コチラの記事も読まれています! まとめ ドヨンについて、少し詳しくなれた気がしましたね! 整形に関してはかなり怪しいです。 今後も過去の写真が出てきたら検証を続けてみたいと思います。 またお兄さんとの関係も明らかになりました。 今後の兄弟の活躍が楽しみですね! スポンサードリンク•

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コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』感想(ネタバレあり)

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原作の貴族的にしてワイセツな雰囲気がうまく出るかどうかは、舞台や衣裳の豪華さだけでなく、主役3人の力量によるわけですけれど、ペ・ヨンジュンとイ・ミスクはいいものの、チョン・ドヨンがイマイチ。 あくまで貞節な未亡人でありながら、プレイボーイの接近に心が揺れ、陥落後は相手に夢中になると同時に官能の虜になる、というのは非常に難しい役なわけで、どうも彼女には無理だったのではないかと感じました。 なんか、田舎の純情なお姉さんというイメージで、貴族の令夫人には合いませんね。 なお、この原作は何度か映画化されていますけど、ジェラール・フィリップ主演のものが特に優れていると思うので、お節介かも知れませんが、未見の方は是非。 なんか、田舎の純情なお姉さんというイメージで、貴族の令夫人には合いませんね。 チョン・ドヨン、私は適役だったと思います。 チョン・ヒヨンが「官能の虜になる」のはこの映画の狙いではなかったのでしょうから。 当時のしきたりに縛られ,天主教への信仰(しかし,信仰自体というより貧しい者への施しという慈善行為に彼女は共感を持っていたような)と読書以外に自分を解放する術を知らなかった女性が、愛を知り自分に目覚め,意思を持ち自分を解放するようになる。 この過程が短いながらも説得力を持って描かれていたように思うので,田舎の純情お姉さん風でむしろ良かったのでは、と思います。 瑞々しく自分を開いていくヒヨンをチョン・ドヨンは見事に演じていたのではないでしょうか。 たしかに原作にこだわらなくてもいいとは思うんです。 落とされる方の女性を中心にして映画を作るなら、おっしゃるような見方もできる。 でも、ここではあくまで構図は原作そのままなんですよ。 つまり、人間関係の酸いも甘いも知り尽くした中年婦人と賭をする形で、プレイボーイが貞節な夫人をゲームとして落とそうとするわけですね。 その際、当然ながら相手の持っている価値観・モラル観をくつがえさなくてはならないわけです。 そうしてこそ始めて相手とエロスでつながることができる。 この場合のエロスは、表面的な意味での性的快感でなく、深い意味での相手との一体感ですね。 そしてその一体感は、(落とされる側が)それまで堅持してきた価値観をかなぐり捨ててこそ成立するのだろうと思う。 であってこそ、プレイボーイの側も心底相手に惚れ込んでしまうんですよ。 そして賭をした婦人への報告書では、そのエロスについて報告しているわけです。 この映画では、最初から春画によって性的な世界を舞台とした快感の追求がテーマであることが示されています。 プレイボーイは、その点では最後になっても世界観を変えるわけではない。 つまり、貞節な婦人との愛は精神的なだけの愛ではなく、エロスに裏付けされた愛なのです。 であればこそ、ベッドシーンもあるわけだし、上述のような報告もしている(ここ、原作通りです)のですね。 ですから、そうしたエロスを身体で表現できる女優でなければならない、私はそう思うわけです。 監督がチョ・ウォンとチョン・ヒヨンの深いエロスによる結びつきを丁寧に描きだそうとする目的があったのであれば、ペ・ヨンジュンとチョン・ドヨンに役をオファーしなかったでしょうし、二人の関係の描写自体ももっと変えたのではないかと思います。 深い官能の虜になるというよりは,初めて自分が他者に開かれていくという喜びを感じ得た者としてチョン・ヒヨンを捉えるという狙いが,監督にあったのではないでしょうか。 その存在の瑞々しさに触れ,プレイボーイ(と言っても,まだまだ青年っぽい)も不覚にも純愛にっ(もちろん,その技巧など用いない「愛し方」にもはまったわけですが)!彼はヒヨンとの関係は春画にできなかったわけですし。 というと、かなり物語世界が甘くなってしまうことにもなるかもしれませんが。 もちろん、私としてはこの見方によっては甘い(=若い)ともとれる物語世界の必然性が感じられたので全く満足なんです したがって、エロスによる深い結びつきの側面の弱さはチョン・ドヨンだけではなく,ペ・ヨンジュンやさらにこの作品自体の狙いに関わることなのではないでしょうか。 ラクロの原作のこの部分をこの作品に要求してしまうと、不満や物足りなさが残ってしまうでしょうね。 確かにチョン・ヒヨン側から描かれていたというわけではありませんが,チョ・ウォンという人間に彼女が惹かれていく過程をこの作品はかなり丁寧に描いていたのでは,と思います。 他者に強く思われることへの混乱や戸惑いや恥ずかしさや嬉しさ。 彼女が処女のまま貞節を守らされてきた女性である,という設定だったからこそ、こういう初々しい感情が描かれたのでしょう。 彼女に取ってチョ・ウォンとは初めて出会った他者、自分の心とからだに確かな刻印を残した他者だったのであり、この出会いにより彼女は大きく変わっていきます。 チョン・ヒヨンという女性を私はこう捉えたので,odysさんが物足りなく感じておられる「エロス不足」が全く問題にならないのです。 ところで、私はあまり良く覚えていないんですが,お勧めのジェラール・フィリップのヴァージョンでは、このヒヨンに当たる女性(誰が演じたのでしょうか)のエロス表現はいかがでしたか。 作品が作られた時代の制約があったかな。 長々、書きました。 『危険な関係』の世界の本質的なところを理解していないんでしょうが(まだ子ども?)、あくまでもこの『スキャンダル」という作品に即した感想であります。 映画の見方には色々あると思います。 春太さんのような見方も一概に否定はできない。 ただ、そうするとこの映画はかなりやせ細ってしまうと思います。 単に遊蕩児が純情な女性に感化されるだけの話なら、もっと単純な作りでいいんすよ。 そもそもフランス作家ラクロの原作を借りてくる必要もないくらいです。 でも、実際はそうじゃないわけでしょう。 原作を明示した上で、韓国映画としてヨーロッパなどの先行作に挑戦した作品じゃないんですか。 宮廷での遊びとしての官能愛がまず背景として十二分に描かれなくてはならない。 そしてその中での微妙な人間関係や心理的なアヤも描かれなくてはならない。 この作品は、第一にそういうところの描出に意を用いています。 実際に18世紀朝鮮の宮廷でああいう遊びが成り立ち得たのか、それは分かりません。 純然たるフィクションなのかも知れませが、少なくとも映画の中では、遊びが成立し得たのだという前提で話が進むのです。 その中に貞節な夫人が登場し、遊びとしての賭の対象になりながらも、プレイボーイを最後には真の愛に導くわけですが、それはプレイボーイ側が官能の愛を反省しましたというような単純な話ではなく、プレイボーイは従来のお遊びとしてのエロスから脱却し、そして落とされた夫人は従来の貞節から脱却し、二人で真のエロスにたどり着く、という話でなくてはならない。 実際、以前から私が言っているように、プレイボーイは賭をした婦人(イ・ミスク)に、快感が持続したと報告しているわけですからね。 そして画面を通してそういう進行を観客に納得させるためには、それなりの女優を選ばなくてはならないと思うのです。 ジェラール・フィリップがプレイボーイをやった版(1960年)では、アネット・ストロイベルグが貞節な夫人を演じていました。 貞節でありながら、「落としたい」という男の欲望をそそる感じもあって、なかなか良かったと私は思います。 こういう女優を選ぶべきなんですよ。 ただ、ベッドシーンで裸を披露してくれたのはいいけれど、肌に黒子が多い人で、ちょっと幻滅でしたね(笑)。 刺激的です。 エロスというキーワードを使わせてもらい、もっと考えてみますね。 前は,結構この言葉を否定していましたが。 エロスが主人公たちの関係性の中心に位置づけられているならば、それをどう描くのか。 とにかく監督は、ヒヨン役をチョン・ドヨンにオファーし、ああいう演出をつけたわけですよね。 当然,彼女が分かり易い官能性(=いわゆるエロい感じ)を漂わせられることは期待もしなかったし,狙いもしなかったのでしょう。 狙っていれば、違う女優を選んだでしょうから。 したがって、odysさんがこだわっておられることは、この作品全体の狙いや人間関係の描き方自体に関わることで、チョン・ドヨン一人の問題ではないでしょう。 私はやけに彼女の肩を持ちますね。 プレイボーイにつきまとわれ,言い寄られ、強引に迫られ,困惑し混乱し、それでもチョ・ウォンの持つ知的だったり内省的な部分も知り,おそらく生まれて初めて他者に興味を引かれていく。 この彼女の開かれ方に、エロスが漂っていたと言えるのではないでしょうか。 エロスって他者に向かっていく思いであるわけですから。 エロスを官能 という側面のみではなく、他者に向かい他者同士を深く結びつけるもの、という意味に捉えていくと,この作品も十分エロティックだと言えるかもしれません。 チョ・ウォンの方は処女にして「未亡人」というこの女性をとにかく征服する=彼女を縛るモラルを侵すことを自分の喜びとしようとしたわけですが,あのキスの場面でこの方針が揺らぎ、そして。 ベッドシーンは、もちろんヒヨンの性的な幼さを示す必要もあり、抑制の利いた静かな場面でした。 彼の述べる「快楽の持続」を知る手がかりとなる場面は具体的にはここしかなく、こういう結びつきの中に遊蕩児の男が快楽やエロスを見出したのだ、と示されることになります(odysさんはここに納得がいかなかったのでしょうね)。 この場面は,抑制が利いているからこそ、二人が深く結びついたことが静かに伝わってきました(だから、私はうるうる来てしまったのですが)。 それから後のヒヨンは身も心もチョ・ウォンという愛する他者に開かれていく女性として静かな艶やかさを漂わせていきますが、チョン・ドヨンのこの艶やかさの表現が私は素晴らしいと思ったし、二人の結びつきが決定的なものだったことが、伝わってくるわけです。 先に私が書いた純愛という言葉ですが,これはチョ・ウォンが女性を愛してしまったということであり,別に今までの遊蕩を悔いるといった意味ではありません。 ただ、ペ・ヨンジュンという若い俳優を用いたため,この作品ではヒヨンの純粋さに触れてしまった、という側面が強くなっています(これも監督の狙いでしょうが)。 もし、この作品に欠点があるとすれば、「不覚にもこの女性に身も心も奪われてしまった」というチョ・ウォンの狼狽や昂揚の表現がもう一つ弱かったというところであり、odysさんが感じる不満もここに起因しているのでは、とも思います。 私の場合、今思うとヒヨンが自分という存在を次第に開いていく過程がエロティックだ(先に述べたような意味で)と感じていたのでしょうし、そうだったからこそ、遊蕩児チョ・ウォンが身も心も彼女に深く捕われてしまうという成り行きも納得がいったのでしたのでしょう。 こう納得させたのは、演出とそしてチョン・ドヨンの演技の力であると私は思うのです。 そっか、やはりエロスがキーワードだったのか。 odysさんのお陰で,自分なりにこの作品の魅力をエロスという側面から捉え返すことができました。 カムサハムニダっス。 こういう板であってほしい。 ですが、韓国映画の板って、議論になると、 映画の内容じゃなくて、韓国と日本の批判 (しかも「議論」じゃなくて、「罵り合い」になってます。 ) をしあっているのをずっと見てきたので、 こうやってきちんと作品に対して議論されていることに、 とてもうれしく思います。 イ・ミスクは凄かったですが、一番弱かったのはペ・ヨンジュンだと感じました・・ プレイボーイという設定とあのお顔との違和感に慣れるのに苦労しました。 役どころとして非常に難しく、演技プラス存在感そのものも要求されるのではないでしょうか。 春太さんのコメントにありますが、 >「不覚にもこの女性に身も心も奪われてしまった」というチョ・ウォンの狼狽や昂揚の表現がもう一つ弱かった とか、刺されてから逢いに行く場面はちょっと?でした。 R指定でしたが、私は純愛を感じ取りました。 そんな中途半端なことせずに「もっとエロスを」というなら別キャスト・脚本があったかもしれませんね。 ご意見を一読して、内容の是非ということではなく、プレイボーイというものが東洋の伝統に希薄なのでは、ということを改めて考えさせられました。 俗に「アメリカ人にいない哲学者、ドイツ人にいないコメディアン、日本人にいないプレイボーイ」などと言いますが、日本に限らずプレイボーイという種族が東洋の伝統にないということが、ご不満の背景にあるのではないでしょうか。 プレイボーイというのは、単なる漁色家ではなく、女を落とす過程を楽しむ男なのであって、カネにものを言わせて女を囲う男ではないし、また有形無形の圧力で女を萎縮させ従わせる不良青年でもないわけです。 そして、プレイボーイが存在するためには、単に本人に才能と意志があるだけでは駄目で、プレイボーイの存在を許容する社会がなくてはならない。 東洋はそういう伝統に欠けているので、演じる俳優もぴたりと決まらないのではないでしょうか。 もっとも「源氏物語」などには類似した背景があったのかも知れませんが、平安王朝期の「色好み」というのはプレイボーイのあり方とはどこか違ったものだったような気がします(このあたり、実はあまりつめて考えてませんが)。 イ・ミスクは完全に適役でしたね。 この人、以前「情事」という映画で見てその色年増ぶりに感心したのですが(この映画は、既婚婦人であるイ・ミスクが妹の婚約者と不倫する話です)、「スキャンダル」でもその存在感を十二分に発揮していました。 TV放映でチラッと見ましたが、激怒!でした・・・なめとんのか、光源氏を・・・・失礼。 同じく豪華絢爛な衣装や背景を使ってたように記憶しますが(何せ途中で見るの止めましたから)この企画で通る日本映画界が怖い・・・ イ・ミスクもチョン・ドヨンも、もちペ・ヨンジュンも根性入ってますよね。 韓国映画は監督とか脚本の力量もあるでしょうが、役者個人の魅力も相当ですね。 >プレイボーイの存在を許容する社会がなくてはならない。 爆!拍手! 身持ちの堅い女性をキス一発でヘナヘナに腰砕けにさせるプレイボーイは、大歓迎です?! しかしですね、心を盗むのと享楽とは違うと思うんですが・・・傷つけずに「あらぁ〜楽しかったはね、じゃあまた」と言わせるのがプレイボーイじゃないんですか? マルコビッチのは未見ですが、彼自身の他の映画などを見て、そのセックスアピールに充分参ってます。 匂うような男、ですね。 odysさんはきっと、チョン・ドヨンの田舎娘風がお気に召さなかったんですね。 パンフレット読むと、「小学生の役」もやったことあるそうです。 女性の目からは彼女はOKですよ。 >話題になった超大作?でしたよね。 あ、いや、私の言ったのは原作のことでして(笑)。 もっとも私もちゃんと読んでないんですけども(笑)。 源氏の世界の「色好み」は、ヨーロッパのプレイボーイ的伝統とはちょっと違うのではないか、と言いたかったわけで。 >しかしですね、心を盗むのと享楽とは違うと思うんですが・・・傷つけずに「あらぁ〜 >楽しかったはね、じゃあまた」と言わせるのがプレイボーイじゃないんですか? うーん、どうなのでしょうか。 女性側も遊びと割り切っているなら、男としても楽ではあるけど、面白くないと思うんですね。 エッセイスト椎名誠は「浮気の人妻」と「不倫の人妻」は違うと言っています。 「浮気」の方は遊びと割り切ってやっているけど、「不倫」の方は本気で、いざとなると死に至るかも知れないと覚悟を決めている、そんな違いがあるというんですね。 プレイボーイからすると、本気はおろか、遊びでも不貞は働かないような女を「本気」にさせちゃうところに醍醐味を感じるんだと思います。 だから、実は残酷なんですよ、プレイボーイというのは。 体を盗むのよりも心を盗むのが目的なんですから。 でもこの映画の原作『危険な関係』ってのは、自分は残酷な男だと思いながら貞節な人妻を落としたプレイボーイが、思わず知らず自分も本気になってしまう、というところに面白みがあるわけです。 自分の方でも心を盗まれてしまうという顛末なんですね。 >odysさんはきっと、チョン・ドヨンの田舎娘風がお気に召さなかったんですね。 その通りです。 もう少し官能の匂いのある女性でないと、プレイボーイとしても意欲がそそられないんじゃないかと。 あ、私は実生活では全然もててませんので、ご安心を(笑)。 彼女には外見からではなく内面からにじみ出る色気や、独特の魅力を感じるからです。 そこが清純な役柄のなかで見え隠れしていて、女として憧れます!!• 返信を投稿• なんか、田舎の純情なお姉さんというイメージで、貴族の令夫人には合いませんね。

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チョン・ドヨンの完全ガイド|出演ドラマ、映画、年齢、身長、インスタグラム

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フィンランドで偶然出会った名前も知らない男と女が、韓国で再び出会い、W不倫の関係になっていってしまうラブロマンス。 スポンサーリンク コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』のあらすじ・出演者は? コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』のあらすじ・出演者をみていきましょう。 コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』 のあらすじ フィンランド。 サンミン(チョン・ドヨン)とギホン(コン・ユ)は、子供たちの国際学校で出会う。 2人はキャンプ場に一緒に向かうが、大雪で足止めされてしまう。 引かれ合った2人は感情のままに体を重ねるが、そこで一夜の恋は終わるはずだった。 8カ月後、ギホンがサンミンの前に現れ…。 コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』 の出演者は?• サンミン ………チョン・ドヨン(メモリーズ 追憶の剣・無頼漢 乾いた罪 など)• ギホン ……… コン・ユ コーヒープリンス1号店・トガニ 幼き瞳の告発 など コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』 の監督・脚本• イ・ユンギ ……… 2016年製作 韓国映画 コンユの大勝利。 色気がすごかったです。 不倫はすごく切ないということを知りました。 ストーリーも良かったです。 特にそれぞれの家庭の設定が良かったと思いました。 最後のコンユの表情が良かったです。 今にも車をUターンさせたい気持ちを必死に押さえているとても切なかったです。 不倫映画は、不倫が題材というだけなので映画として評価して欲しいのに、不倫は不快だからと評価が低いとちょっと悲しいです。 (フィルマーク映画より引用) コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』感想(ネタバレあり)まとめ 今回はコン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』 のあらすじ・主演者・口コミ・評判についてまとめました。 コン・ユとチョン・ドヨンの韓国映画『男と女』 を無料で見れる、おすすめの動画配信サービスは.

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