岩手 県 飛龍 山。 「ポツンと一軒家」岩手県北部の場所はどこ?その正体は?

岩手県の山岳信仰 その2 〜 本当に不思議な山ばかり

岩手 県 飛龍 山

県の北西部に位置し、山頂付近は岩手郡 滝沢 ( たきざわ )村・ 雫石 ( しずくいし )町・ 松尾 ( まつお )村・ 西根 ( にしね )町にまたがる。 早池峰 ( はやちね )山と 姫神 ( ひめかみ )山とともに岩手三山をなす。 那須火山帯に属する複式成層火山の休火山。 標高二〇三九メートルで県内最高峰。 古期火山の西岩手山火口の東壁部を、新しい東岩手山が覆っている。 西岩手山は頂上に東西三キロ・南北二キロの大火口をもち、火口内に 御釜 ( おかま )湖・ 御苗代 ( おなわしろ )湖があり、外輪山北側を 屏風 ( びようぶ )尾根、南側を 鬼ヶ城 ( おにがじよう )とよぶ。 東岩手山には 御鉢 ( おはち )とよばれる噴火口 (直径約七〇〇メートル)内に、第二次火口の 御室 ( おむろ )と中央火口丘の 妙高 ( みようこう )山がある。 西岩手山の西方には 黒倉 ( くろくら )山 (一五七〇メートル)、 姥倉 ( うばくら )山 (一五一七・三メートル)、 犬倉 ( いぬくら )山 (一四〇八メートル)が連なり、秋田県境の山並へ続く一帯は雫石町の 網張 ( あみはり )温泉・ 滝ノ上 ( たきのうえ )温泉、松尾村の 松川 ( まつかわ )温泉などを含め、 十和田八幡平 ( とわだはちまんたい )国立公園に指定されている。 岩鷲 ( がんじゆ )山ともいわれ、裾野の長い秀麗な山容から、岩手富士・南部富士・南部片富士などとも称される。 また 霧山 ( きりやま )嶽ともいわれ、前九年の役の際、源義家が岩手山の観音に祈願したところ、霧が晴れて山頂が姿を現したという (明治七年「岩手山神社考証書」小原文書)。 「奥々風土記」には「岩手郡なる諸山に秀たる高山なれば、即郡ノ名を負て、岩手山とはいふ也」とある。 古くから歌に詠まれることが多く、「千載集」に左京大夫顕輔の「思へどもいはでの山に年をへてくちやはてなん谷の埋木」や顕昭法師の「人しれぬ涙の川のみなかみやいはでの山の谷のした水」、「続古今集」に皇后宮内侍の「しられじなたえずこころにかかるともいはでのやまのみねのしらくも」などが載る。 正保国絵図に岩鷲山とみえるが、この名がいつから使用されたかは未詳。 むしろ史料上は信仰の対象となった岩鷲山大権現 (御殿と称する山頂本社および現在の岩手郡滝沢村巌手山神社など)の名が中世末頃からみえるが、岩手山自体が神体であったのは明らかであろう。 天明八年 (一七八八)には菅江真澄が「嵩に鷲のすがたしたる岩の在れば 岩鷲山 ( かんじゆさん )ととなへ、おいはわしといふべきを、もはら語路あしく、はぶきていへり。 いはては岩 手 ( しゆ )の文字なれば、 岩鷲 ( かんじゆ )のこゑに、いまし世の誰かいひたがひけん」と記している (岩手の山)。 なお三光院 (のちの自光坊)のものとされる永禄六年 (一五六三)の棟札 (一方井家蔵)に「岩鷲山宝殿」とあり、「雑書」寛永二一年 (一六四四)五月三日条には、打続く日照りのため「自光坊門徒之山伏数人誘引、岩鷲山麓て為法雨乞」と記される。 〔信仰と祭礼〕 岩手山の信仰は山そのものを神体とする自然崇拝に、阿弥陀・薬師・観音信仰などの要素が加わって岩鷲山大権現となり、人々の信仰を集めるようになった。 それはまた、修験道とも結合する。 前掲考証書に「上古此処磐提之里トモ云、里人ニ吹落ト云者有テ始メテ此山ヲ開ク、祭神大穴牟遅命ヲ勧請シ岩手山ト唱フ」とあり、のち坂上田村麻呂が国家鎮護のために三尊の阿弥陀を安置して本地とし、その後麓の六天が奉仕したという。 文治五年 (一一八九)の奥州合戦後、奥州に下った工藤小次郎行光は、源頼朝によって岩手郡の地頭に任じられ、岩鷲山宮司となったと伝えられるが (同書など)、詳細は不明。 近世においては盛岡藩の「領内総鎮守」として南部氏の崇敬を受け、毎年五月二七日に祭礼が行われていた (同書)。 「邦内郷村志」は祭礼の様子を「祭礼自五月二四日至廿八日、杜陵道行程廿五里、山下迄広原平野万民成群、清浄垢離浴水七日、云祷国家安全五穀成就矣、祈声日夜驚城府、山下各建新山堂、不能女人登山也」と記す。 当時の代参行列には前駆警固足軽左右各一人、先払裃着一人、金紋先箱左右各一人、貝吹緒袈裟修験左右各二人、警固足軽左右各一人、奉幣並御納衣入りの唐櫃の左右に修験各一人を配し、警固足軽・伴修験が続き、槍持・沓持各一人のあとに、別当黄網代駕籠の左右を狩衣の若党二人が守り、舁夫四人・薙刀一人・立傘白張一人・金紋挟箱一人・草履取一人・合羽一人・口取付騎馬修験七人が続いた (「岩手山記」県立図書館蔵)。 「雑書」寛永二一年五月二七日条に「岩鷲祭礼」とみえ、代参として別当養海が神馬一匹を引いて登山しており、同書同年六月二日条には養海・自光坊・滴石円蔵・寄木大蔵院が岩鷲参詣の土産の松葉・当帰 (薬草)・硫黄の三種を献上したことが記される。 山麓の東・北・南の各登山口には、遥拝所として新山堂が置かれていた。 「邦内郷村志」「御領分社堂」などによると、東は岩手郡滝沢村 (現滝沢村)の 柳沢 ( やなぎさわ )新山堂 (現在の巌手山神社)で別当は盛岡城下 新山 ( しんざん )小路の 大勝 ( だいしよう )寺。 北は新山堂 (現在の西根町平笠にある岩手山新山神社)で別当は 平館 ( たいらだて )村 (現西根町)の 大蔵 ( だいぞう )院。 南は同郡 長山 ( ながやま )村 (現雫石町)の新山堂 (現在の岩手山神社)で別当は同郡雫石村 (現同上)の 円蔵 ( えんぞう )院。 それぞれ岩鷲山を山号としていた。 東口にあたる 栗谷川 ( くりやがわ )通の柳沢口は盛岡城下からの正参道で、表口参道ともいい、とくに重要視された。 一方、大勝寺・自光坊・篠木禰宜は、岩鷲山大権現別当職をめぐり争っている。 篠木禰宜は、建久元年 (一一九〇)工藤小次郎行光に従って岩手山に登ったとされる家臣の斎藤藤三郎の末裔といわれ、元禄元年 (一六八八)の書上 (斎藤文書)によると、毎年五月二八日に新山堂で南部氏繁栄の祈祷および湯立を行っている。 自光坊は本山派の修験で、永禄年中には岩手郡 一方井 ( いつかたい )村 (現岩手町)におり、岩鷲山の奉祀者であった (前掲棟札)。 南部氏の崇敬が厚く、寛永一一年には一八〇石、慶安五年 (一六五二)には一八二石を給されていた (岩手県史)。 大勝寺は寛永一〇年の創設とされ、羽黒山中興覚書 (出羽三山神社蔵)によれば、羽黒山在庁真田氏は南部氏の帰依を得て領内を霞場とし、下向の際は藩主と対面して馳走を受け、人夫・伝馬を給付され領内を巡っていた。 しかし元和五年 (一六一九)真田清鏡が陸奥三戸へ下着したが、翌年二月まで藩主南部利直と対面もなく、清鏡は怒り三戸城で切腹。 利直は清鏡の嫡子に対して先規のとおり霞場を認め、以後羽黒三所権現へ毎年神馬九匹・代参三〇人を立て、初穂として金三〇両を送り、さらに盛岡で羽黒行人を取立て、祈願寺として二〇〇石を宛行ったのが大勝寺であった。 貞享四年 (一六八七)岩鷲山参詣の山役銭をめぐって、大勝寺と自光坊の間に争論が発生。 自光坊は藩から所領を宛行われていることなどを理由に、柳沢口の山役銭徴収権が大勝寺にないことを主張したが認められず、柳沢口を立退く代りに雫石口の自光坊派円蔵院より代参などの登山口を借受けている (「御領分社堂」「雫石歳代日記」など)。 円蔵院は 西根 ( にしね )村 (現雫石町) 大宮 ( おおみや )神社の神官で木村相模守を称していた。 享禄三年 (一五三〇)の大宮再興棟札写 (藤平文書)に「代々神主」とあり、慶長八年 (一六〇三)の南部利直知行宛行状 (雫石木村文書)に「岩鷲禰き」とみえ社人であった。 登山は「お山がけ」といわれ、精進潔斎して白衣をまとい、六根清浄を唱えて登った。 元禄元年の大蔵院境内絵図 (田村家蔵)には、潔斎を行う「コリトリバ」 (垢離取場)、女人禁制を示す「是より上女人ケツカイヲカイバ」 (結界御改場)などの記載がみえる。 不浄不潔の者が登山を行った場合には必ず強風・強雨となり、行方不明者を出すといわれる信仰の山であった (邦内郷村志)。 また「お山がけ」をしないと一人前の男と認められず岩手山から持帰ったはい松の枝葉を守札に添え、田畑に細竹か葦に結び付けて立てると、五穀豊穣がもたらされると信じられていた (西根町史)。 江戸末期には町人らの寄付によって、岩鷲山参詣の道しるべの碑が麓より頂上まで一〇本建てられ (内史略)、岩手山登山口の北口には、登山道に二合目から八合五勺目までの九本が現存し、文政五年 (一八二二)の建立とある。 同六年、北口の標高一七六〇メートルの 平笠不動 ( ひらかさふどう ) (現西根町)に接待小屋が建てられた。 女人禁制が解かれたのは明治中頃からで、女性の団体登山は大正以降という。 〔噴火の記録〕 元禄一〇年の南部領総絵図 (盛岡市中央公民館蔵)にも噴火の様子が描かれる岩手山の噴火の記録は、伝承の類を別にすれば天和三年 (一六八三)が最初とされる。 「雫石歳代日記」には「三月三日より岩鷲山焼初申候」とあり、右京進覚書 (木村文書)には「三月三日ノ晩ヨリ岩手山焼ハジマリ、大同年中ニモ焼候由、其ノ節ハ三十六ケ所ヨリ焼出シ、夜モ昼ノ如クニテ恐敷御座候由、又此度焼申候」とみえる。 記録上、最も活動が激しかったのは貞享三年から元禄二年まで続く噴火である。 「内史略」によると、貞享三年三月二日雷が鳴渡ったのち、北上川の水が濁り、諸木や家財などが流出し、「同三日の晩七ツ時過に空晴、岩鷲山焼、頂上は夥敷黒煙立、及暮に随ひ火の色見得、幅一間程長さ十丁に及候様に相見得申候」と記される。 藩では代官二名と岩手郡下栗谷川村 (現盛岡市)・ 大沢 ( おおさわ )村 (現滝沢村)の両村肝入を調査に派遣、焼石は 鵜飼 ( うかい )村 (現同上)の枝村 姥屋敷 ( うばやしき )辺りまで飛来、自光坊と同行六人は柳沢新山堂で祈祷を行っている。 同月九日には 篠木 ( しのぎ )村 (現同上)の斎藤禰宜が山頂に登り、火口をのぞいて帰還、一三日から一四日にかけては、 永福 ( えいふく )寺 (現盛岡市)以下真言宗派一五ヵ寺の二七人によって、鎮静の祈祷が行われたという (岩手県史)。 一〇月三日には、噴火鎮静のため岩鷲山に「岩鷲山正一位大権現」の位階が与えられている (内史略)。 その後も火山活動は続き、同四年三月の噴火は強震を伴い、鳴動は五月末頃まで続いたとされる。 享保四年 (一七一九)一月、岩手山の北東中腹から溶岩が噴出、これが現在の国指定特別天然記念物の焼走り溶岩流である。 しかし人畜への被害はなく、同一四年・一六年にも噴火がみられた (岩手県史)。 文政六年火山性群発地震が発生。 「内史略」には「沼宮内通の内、西根八ケ村は月初、岩鷲山の方より地震昼夜数度鳴動し、同九月二十日頃に至、昼夜の鳴動次第に強く、度数も相増逐日強く、西根八ケ村家屋大方破損」とあるが、他の地域の地震は強くなく、翌七年三月頃までには鳴動も弱くなったという。 大正八年 (一九一九)七月中旬頃西岩手山 大地獄 ( おおじごく )付近に直径約一〇メートルの新爆裂口が発生。 山頂付近のコマクサの群落や 不動平 ( ふどうたい )一帯のハイマツを主体とするコケモモ、シロバナシャクナゲなどの高山植物、またホシガラスやツノボソカモシカ、ツキノワグマなども見られる。 滝沢村滝沢の岩手山国有林内の高山植物帯は国指定天然記念物となっている。 西麓を中心とした地域には温泉も多く、松川温泉に松川地熱発電所、滝ノ上温泉に 葛根田 ( かつこんだ )地熱発電所が操業している。 南麓の滝沢村から雫石町にかけては、明治二四年 (一八九一)開設の 小岩井 ( こいわい )農場が広がる。 岩手山にまつわる伝承は多く、そのうちの一つとして「奥々風土記」には「往古岩手山は雄神にましまして、姫神嶽を本妻とし、早池峰山を妾として座ましき」とあり、岩手山と姫神山が不仲になった結果、姫神山に登った者は岩手山に登らず、もし登れば必ず災難にあったという。 また一方の山が晴れると、他方は曇るともいう (岩手郡誌)。 なお石川啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」の歌は、岩手山を詠んだものともいわれ、岩手の代表的名山として県民に親しまれている。 百科 53• 日本大百科全書 31• 世界大百科事典 21• Encyclopedia of Japan 1• 日本語 27• デジタル大辞泉 9• 日本国語大辞典 15• 新選漢和辞典Web版 0• 字通 0• 故事俗信ことわざ大辞典 0• 全文全訳古語辞典 0• 数え方の辞典 0• 日本方言大辞典 3• 歴史・地名 53• 国史大辞典 5• 日本歴史地名大系 47• 日本史年表 0• 古事類苑 1• 江戸名所図会 0• 英語 0• ランダムハウス英和 0• プログレッシブ英和 0• プログレッシブ和英 0• コウビルド英英和 0• Oxford Advanced Learner's 0• 理化学英和辞典 0• 医学英和辞典 0• ビジネス技術実用英語 0• プログレビジネス英語 0• SPED理工系英和 0• ヨーロッパ言語 0• 独和大辞典 0• ロベール仏和大辞典 0• 西和中辞典 0• 和西辞典 0• 伊和中辞典 0• 和伊中辞典 0• 羅和辞典 0• 和羅辞典 0• ポケプロ独和 0• ポケプロ和独 0• ポケプロ仏和 0• ポケプロ和仏 0• ポケプロ西和 0• ポケプロ和西 0• ポケプロ伊和 0• ポケプロ和伊 0• 東アジア言語 0• ポケプロ中日 0• ポケプロ韓日 0• ポケプロ日中 0• ポケプロ日韓 0• 用語・情報 11• 現代用語の基礎知識 2019 0• イミダス 2018 0• 会社四季報 2019秋 0• 法律用語辞典 0• 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岩手 県 飛龍 山

県の北西部に位置し、山頂付近は岩手郡 滝沢 ( たきざわ )村・ 雫石 ( しずくいし )町・ 松尾 ( まつお )村・ 西根 ( にしね )町にまたがる。 早池峰 ( はやちね )山と 姫神 ( ひめかみ )山とともに岩手三山をなす。 那須火山帯に属する複式成層火山の休火山。 標高二〇三九メートルで県内最高峰。 古期火山の西岩手山火口の東壁部を、新しい東岩手山が覆っている。 西岩手山は頂上に東西三キロ・南北二キロの大火口をもち、火口内に 御釜 ( おかま )湖・ 御苗代 ( おなわしろ )湖があり、外輪山北側を 屏風 ( びようぶ )尾根、南側を 鬼ヶ城 ( おにがじよう )とよぶ。 東岩手山には 御鉢 ( おはち )とよばれる噴火口 (直径約七〇〇メートル)内に、第二次火口の 御室 ( おむろ )と中央火口丘の 妙高 ( みようこう )山がある。 西岩手山の西方には 黒倉 ( くろくら )山 (一五七〇メートル)、 姥倉 ( うばくら )山 (一五一七・三メートル)、 犬倉 ( いぬくら )山 (一四〇八メートル)が連なり、秋田県境の山並へ続く一帯は雫石町の 網張 ( あみはり )温泉・ 滝ノ上 ( たきのうえ )温泉、松尾村の 松川 ( まつかわ )温泉などを含め、 十和田八幡平 ( とわだはちまんたい )国立公園に指定されている。 岩鷲 ( がんじゆ )山ともいわれ、裾野の長い秀麗な山容から、岩手富士・南部富士・南部片富士などとも称される。 また 霧山 ( きりやま )嶽ともいわれ、前九年の役の際、源義家が岩手山の観音に祈願したところ、霧が晴れて山頂が姿を現したという (明治七年「岩手山神社考証書」小原文書)。 「奥々風土記」には「岩手郡なる諸山に秀たる高山なれば、即郡ノ名を負て、岩手山とはいふ也」とある。 古くから歌に詠まれることが多く、「千載集」に左京大夫顕輔の「思へどもいはでの山に年をへてくちやはてなん谷の埋木」や顕昭法師の「人しれぬ涙の川のみなかみやいはでの山の谷のした水」、「続古今集」に皇后宮内侍の「しられじなたえずこころにかかるともいはでのやまのみねのしらくも」などが載る。 正保国絵図に岩鷲山とみえるが、この名がいつから使用されたかは未詳。 むしろ史料上は信仰の対象となった岩鷲山大権現 (御殿と称する山頂本社および現在の岩手郡滝沢村巌手山神社など)の名が中世末頃からみえるが、岩手山自体が神体であったのは明らかであろう。 天明八年 (一七八八)には菅江真澄が「嵩に鷲のすがたしたる岩の在れば 岩鷲山 ( かんじゆさん )ととなへ、おいはわしといふべきを、もはら語路あしく、はぶきていへり。 いはては岩 手 ( しゆ )の文字なれば、 岩鷲 ( かんじゆ )のこゑに、いまし世の誰かいひたがひけん」と記している (岩手の山)。 なお三光院 (のちの自光坊)のものとされる永禄六年 (一五六三)の棟札 (一方井家蔵)に「岩鷲山宝殿」とあり、「雑書」寛永二一年 (一六四四)五月三日条には、打続く日照りのため「自光坊門徒之山伏数人誘引、岩鷲山麓て為法雨乞」と記される。 〔信仰と祭礼〕 岩手山の信仰は山そのものを神体とする自然崇拝に、阿弥陀・薬師・観音信仰などの要素が加わって岩鷲山大権現となり、人々の信仰を集めるようになった。 それはまた、修験道とも結合する。 前掲考証書に「上古此処磐提之里トモ云、里人ニ吹落ト云者有テ始メテ此山ヲ開ク、祭神大穴牟遅命ヲ勧請シ岩手山ト唱フ」とあり、のち坂上田村麻呂が国家鎮護のために三尊の阿弥陀を安置して本地とし、その後麓の六天が奉仕したという。 文治五年 (一一八九)の奥州合戦後、奥州に下った工藤小次郎行光は、源頼朝によって岩手郡の地頭に任じられ、岩鷲山宮司となったと伝えられるが (同書など)、詳細は不明。 近世においては盛岡藩の「領内総鎮守」として南部氏の崇敬を受け、毎年五月二七日に祭礼が行われていた (同書)。 「邦内郷村志」は祭礼の様子を「祭礼自五月二四日至廿八日、杜陵道行程廿五里、山下迄広原平野万民成群、清浄垢離浴水七日、云祷国家安全五穀成就矣、祈声日夜驚城府、山下各建新山堂、不能女人登山也」と記す。 当時の代参行列には前駆警固足軽左右各一人、先払裃着一人、金紋先箱左右各一人、貝吹緒袈裟修験左右各二人、警固足軽左右各一人、奉幣並御納衣入りの唐櫃の左右に修験各一人を配し、警固足軽・伴修験が続き、槍持・沓持各一人のあとに、別当黄網代駕籠の左右を狩衣の若党二人が守り、舁夫四人・薙刀一人・立傘白張一人・金紋挟箱一人・草履取一人・合羽一人・口取付騎馬修験七人が続いた (「岩手山記」県立図書館蔵)。 「雑書」寛永二一年五月二七日条に「岩鷲祭礼」とみえ、代参として別当養海が神馬一匹を引いて登山しており、同書同年六月二日条には養海・自光坊・滴石円蔵・寄木大蔵院が岩鷲参詣の土産の松葉・当帰 (薬草)・硫黄の三種を献上したことが記される。 山麓の東・北・南の各登山口には、遥拝所として新山堂が置かれていた。 「邦内郷村志」「御領分社堂」などによると、東は岩手郡滝沢村 (現滝沢村)の 柳沢 ( やなぎさわ )新山堂 (現在の巌手山神社)で別当は盛岡城下 新山 ( しんざん )小路の 大勝 ( だいしよう )寺。 北は新山堂 (現在の西根町平笠にある岩手山新山神社)で別当は 平館 ( たいらだて )村 (現西根町)の 大蔵 ( だいぞう )院。 南は同郡 長山 ( ながやま )村 (現雫石町)の新山堂 (現在の岩手山神社)で別当は同郡雫石村 (現同上)の 円蔵 ( えんぞう )院。 それぞれ岩鷲山を山号としていた。 東口にあたる 栗谷川 ( くりやがわ )通の柳沢口は盛岡城下からの正参道で、表口参道ともいい、とくに重要視された。 一方、大勝寺・自光坊・篠木禰宜は、岩鷲山大権現別当職をめぐり争っている。 篠木禰宜は、建久元年 (一一九〇)工藤小次郎行光に従って岩手山に登ったとされる家臣の斎藤藤三郎の末裔といわれ、元禄元年 (一六八八)の書上 (斎藤文書)によると、毎年五月二八日に新山堂で南部氏繁栄の祈祷および湯立を行っている。 自光坊は本山派の修験で、永禄年中には岩手郡 一方井 ( いつかたい )村 (現岩手町)におり、岩鷲山の奉祀者であった (前掲棟札)。 南部氏の崇敬が厚く、寛永一一年には一八〇石、慶安五年 (一六五二)には一八二石を給されていた (岩手県史)。 大勝寺は寛永一〇年の創設とされ、羽黒山中興覚書 (出羽三山神社蔵)によれば、羽黒山在庁真田氏は南部氏の帰依を得て領内を霞場とし、下向の際は藩主と対面して馳走を受け、人夫・伝馬を給付され領内を巡っていた。 しかし元和五年 (一六一九)真田清鏡が陸奥三戸へ下着したが、翌年二月まで藩主南部利直と対面もなく、清鏡は怒り三戸城で切腹。 利直は清鏡の嫡子に対して先規のとおり霞場を認め、以後羽黒三所権現へ毎年神馬九匹・代参三〇人を立て、初穂として金三〇両を送り、さらに盛岡で羽黒行人を取立て、祈願寺として二〇〇石を宛行ったのが大勝寺であった。 貞享四年 (一六八七)岩鷲山参詣の山役銭をめぐって、大勝寺と自光坊の間に争論が発生。 自光坊は藩から所領を宛行われていることなどを理由に、柳沢口の山役銭徴収権が大勝寺にないことを主張したが認められず、柳沢口を立退く代りに雫石口の自光坊派円蔵院より代参などの登山口を借受けている (「御領分社堂」「雫石歳代日記」など)。 円蔵院は 西根 ( にしね )村 (現雫石町) 大宮 ( おおみや )神社の神官で木村相模守を称していた。 享禄三年 (一五三〇)の大宮再興棟札写 (藤平文書)に「代々神主」とあり、慶長八年 (一六〇三)の南部利直知行宛行状 (雫石木村文書)に「岩鷲禰き」とみえ社人であった。 登山は「お山がけ」といわれ、精進潔斎して白衣をまとい、六根清浄を唱えて登った。 元禄元年の大蔵院境内絵図 (田村家蔵)には、潔斎を行う「コリトリバ」 (垢離取場)、女人禁制を示す「是より上女人ケツカイヲカイバ」 (結界御改場)などの記載がみえる。 不浄不潔の者が登山を行った場合には必ず強風・強雨となり、行方不明者を出すといわれる信仰の山であった (邦内郷村志)。 また「お山がけ」をしないと一人前の男と認められず岩手山から持帰ったはい松の枝葉を守札に添え、田畑に細竹か葦に結び付けて立てると、五穀豊穣がもたらされると信じられていた (西根町史)。 江戸末期には町人らの寄付によって、岩鷲山参詣の道しるべの碑が麓より頂上まで一〇本建てられ (内史略)、岩手山登山口の北口には、登山道に二合目から八合五勺目までの九本が現存し、文政五年 (一八二二)の建立とある。 同六年、北口の標高一七六〇メートルの 平笠不動 ( ひらかさふどう ) (現西根町)に接待小屋が建てられた。 女人禁制が解かれたのは明治中頃からで、女性の団体登山は大正以降という。 〔噴火の記録〕 元禄一〇年の南部領総絵図 (盛岡市中央公民館蔵)にも噴火の様子が描かれる岩手山の噴火の記録は、伝承の類を別にすれば天和三年 (一六八三)が最初とされる。 「雫石歳代日記」には「三月三日より岩鷲山焼初申候」とあり、右京進覚書 (木村文書)には「三月三日ノ晩ヨリ岩手山焼ハジマリ、大同年中ニモ焼候由、其ノ節ハ三十六ケ所ヨリ焼出シ、夜モ昼ノ如クニテ恐敷御座候由、又此度焼申候」とみえる。 記録上、最も活動が激しかったのは貞享三年から元禄二年まで続く噴火である。 「内史略」によると、貞享三年三月二日雷が鳴渡ったのち、北上川の水が濁り、諸木や家財などが流出し、「同三日の晩七ツ時過に空晴、岩鷲山焼、頂上は夥敷黒煙立、及暮に随ひ火の色見得、幅一間程長さ十丁に及候様に相見得申候」と記される。 藩では代官二名と岩手郡下栗谷川村 (現盛岡市)・ 大沢 ( おおさわ )村 (現滝沢村)の両村肝入を調査に派遣、焼石は 鵜飼 ( うかい )村 (現同上)の枝村 姥屋敷 ( うばやしき )辺りまで飛来、自光坊と同行六人は柳沢新山堂で祈祷を行っている。 同月九日には 篠木 ( しのぎ )村 (現同上)の斎藤禰宜が山頂に登り、火口をのぞいて帰還、一三日から一四日にかけては、 永福 ( えいふく )寺 (現盛岡市)以下真言宗派一五ヵ寺の二七人によって、鎮静の祈祷が行われたという (岩手県史)。 一〇月三日には、噴火鎮静のため岩鷲山に「岩鷲山正一位大権現」の位階が与えられている (内史略)。 その後も火山活動は続き、同四年三月の噴火は強震を伴い、鳴動は五月末頃まで続いたとされる。 享保四年 (一七一九)一月、岩手山の北東中腹から溶岩が噴出、これが現在の国指定特別天然記念物の焼走り溶岩流である。 しかし人畜への被害はなく、同一四年・一六年にも噴火がみられた (岩手県史)。 文政六年火山性群発地震が発生。 「内史略」には「沼宮内通の内、西根八ケ村は月初、岩鷲山の方より地震昼夜数度鳴動し、同九月二十日頃に至、昼夜の鳴動次第に強く、度数も相増逐日強く、西根八ケ村家屋大方破損」とあるが、他の地域の地震は強くなく、翌七年三月頃までには鳴動も弱くなったという。 大正八年 (一九一九)七月中旬頃西岩手山 大地獄 ( おおじごく )付近に直径約一〇メートルの新爆裂口が発生。 山頂付近のコマクサの群落や 不動平 ( ふどうたい )一帯のハイマツを主体とするコケモモ、シロバナシャクナゲなどの高山植物、またホシガラスやツノボソカモシカ、ツキノワグマなども見られる。 滝沢村滝沢の岩手山国有林内の高山植物帯は国指定天然記念物となっている。 西麓を中心とした地域には温泉も多く、松川温泉に松川地熱発電所、滝ノ上温泉に 葛根田 ( かつこんだ )地熱発電所が操業している。 南麓の滝沢村から雫石町にかけては、明治二四年 (一八九一)開設の 小岩井 ( こいわい )農場が広がる。 岩手山にまつわる伝承は多く、そのうちの一つとして「奥々風土記」には「往古岩手山は雄神にましまして、姫神嶽を本妻とし、早池峰山を妾として座ましき」とあり、岩手山と姫神山が不仲になった結果、姫神山に登った者は岩手山に登らず、もし登れば必ず災難にあったという。 また一方の山が晴れると、他方は曇るともいう (岩手郡誌)。 なお石川啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」の歌は、岩手山を詠んだものともいわれ、岩手の代表的名山として県民に親しまれている。 百科 53• 日本大百科全書 31• 世界大百科事典 21• Encyclopedia of Japan 1• 日本語 27• デジタル大辞泉 9• 日本国語大辞典 15• 新選漢和辞典Web版 0• 字通 0• 故事俗信ことわざ大辞典 0• 全文全訳古語辞典 0• 数え方の辞典 0• 日本方言大辞典 3• 歴史・地名 53• 国史大辞典 5• 日本歴史地名大系 47• 日本史年表 0• 古事類苑 1• 江戸名所図会 0• 英語 0• ランダムハウス英和 0• プログレッシブ英和 0• プログレッシブ和英 0• コウビルド英英和 0• Oxford Advanced Learner's 0• 理化学英和辞典 0• 医学英和辞典 0• ビジネス技術実用英語 0• プログレビジネス英語 0• SPED理工系英和 0• ヨーロッパ言語 0• 独和大辞典 0• ロベール仏和大辞典 0• 西和中辞典 0• 和西辞典 0• 伊和中辞典 0• 和伊中辞典 0• 羅和辞典 0• 和羅辞典 0• ポケプロ独和 0• ポケプロ和独 0• ポケプロ仏和 0• ポケプロ和仏 0• ポケプロ西和 0• ポケプロ和西 0• ポケプロ伊和 0• ポケプロ和伊 0• 東アジア言語 0• ポケプロ中日 0• ポケプロ韓日 0• ポケプロ日中 0• ポケプロ日韓 0• 用語・情報 11• 現代用語の基礎知識 2019 0• イミダス 2018 0• 会社四季報 2019秋 0• 法律用語辞典 0• 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ページ番号1027496 更新日 令和2年6月24日 更新履歴• 令和2年6月24日 を更新しました。 令和2年6月24日 を更新しました。 令和2年6月23日 を更新しました。 令和2年6月19日 、及びにを掲載しました。 令和2年6月8日 、、、を掲載しました。 県民の皆様へのお知らせ• Information on the Coronavirus• 各種イベント等の開催状況 各種イベント等の開催、または、中止の情報は、以下のリンク先をご覧ください。 事業者の皆様へのお知らせ• 知事から県民の皆様へのメッセージ 知事メッセージ• 岩手県にお住いの皆さまへのお願い 外出する際のお願い• 6月19日から、全ての都道府県との移動の自粛が解除されました。 マスクの着用や人との間隔の確保をお願いします。 帰ったら、手洗い・消毒・うがいなどの徹底をお願いします。 夏場は、屋外でマスクを外すなど、熱中症に注意願います。 施設(店舗等)・職場における感染対策の徹底• 施設(店舗等)には、「入場者の制限や誘導」「手洗いの徹底や手指の消毒設備の設置」等の取組をお願いします。 職場においては、在宅勤務(テレワーク)、時差出勤等、人との接触を低減する取組をお願いします。 思いやりのある行動と落ち着きを持った対応のお願い• 医療関係者をはじめ、県民生活に不可欠なサービスの提供に従事している皆さまに、感謝と思いやりの気持ちをもって対応を心がけていただくようお願いします。 県外からいらっしゃる方々に対し、落ち着きを持った対応を心がけていただくようお願いします。 【参考】 岩手県においでになる皆さまへのお願い 海外からお越しになる皆様へ 自宅等指定された場所で2週間待機していただくなど、 検疫の要請に従うようお願いします。 岩手県内で里帰り出産を希望される方へ• 【参考】東北6県の状況 5月8日以降、1か月以上にわたり新規感染者が確認されていませんでしたが、6月中旬に宮城県と福島県で報告がありました。 東北地方における感染者の確認状況(6月19日24時現在、単位:人) 県名 5月22日(金曜) 時点 5月29日(金曜) 時点 6月5日(金曜) 時点 6月12日(金曜) 時点 6月19日(金曜) 時点 27 27(0) 27(0) 27(0) 27(0) 岩手県 0 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 88 88(0) 88(0) 88(0) 89(1) 16 16(0) 16(0) 16(0) 16(0) 69 69(0) 69(0) 69(0) 69(0) 81 81(0) 81(0) 81(0) 82(1) 合計 281 281(0) 281(0) 281(0) 283(2)• ( )内は、新たに確認された感染者の人数です。 各県の最新の感染状況は、ご覧になりたい県名をクリックすると確認できます。 遺伝子検査(PCR検査)等・相談状況 遺伝子検査(PCR検査)等実施件数 令和2年5月14日よりコールセンターを設置したことに伴い、区分を「コールセンター」と「各保健所等(県庁医療政策室・盛岡市保健所を含む)」に変更しました。 【帰国者・接触者相談センター】受付件数 区分 2月8日~ 6月16日 6月17日 6月18日 6月19日 6月20日 6月21日 6月22日 累計 コールセンター 1,113 26 21 20 21 19 25 1,245 各保健所等 (県庁医療政策室・盛岡市保健所を含む) 8,184 22 17 11 5 7 27 8,273 合計 9,297 48 38 31 26 26 52 9,518 主に「症状がある方からの受診等に関する相談」を計上 【一般相談】受付件数 区分 2月8日~ 6月16日 6月17日 6月18日 6月19日 6月20日 6月21日 6月22日 累計 コールセンター 643 11 7 9 2 5 9 686 各保健所等 (県庁医療政策室・盛岡市保健所を含む) 5,763 10 6 10 1 0 3 5,793 合計 6,406 21 13 19 3 5 12 6,479 「新型コロナウイルス感染症に関する疑問や心配事がある方からの一般相談」を計上 (注意)集計数に変更が生じる場合がありますので、ご了承ください。 新型コロナウイルス感染症に関する相談窓口 次の症状がある方は「帰国者・接触者相談センター」にご相談ください• 息苦しさ(呼吸困難)、強いだるさ(倦怠感)、高熱等の強い症状のいずれかがある場合• 重症化しやすい方(注意)で、発熱や咳などの比較的軽い風邪の症状がある場合 (注意)高齢者、糖尿病、心不全、呼吸器疾患(COPD等)等の基礎疾患がある方や透析を受けている方、免疫抑制剤や抗がん剤等を用いている方• 上記以外の方で発熱や咳など比較的軽い風邪の症状が続く場合 (症状が4日以上続く場合は必ずご相談ください。 症状には個人差がありますので、強い症状と思う場合にはすぐに相談してください。 解熱剤などを飲み続けなければならない方も同様です。 帰国者・接触者相談センター(コールセンター)• 電話での相談を通じ、疑い例に該当する方を「帰国者・接触者外来」に受診させるよう調整を行うため、コールセンターを設置しています。 なお、聴覚に障害のある方をはじめ電話での御相談が難しい方に向けてファクスでも受付をしていますので、ご利用ください。 受付時間: 9時~21時(土日・祝日を含む) 電話: 0120-565653(フリーダイヤル) ファクス: 03-3595-2756 LINE公式アカウント「岩手県-新型コロナ対策パーソナルサポート」 令和2年4月30日、LINE公式アカウント「岩手県-新型コロナ対策パーソナルサポート」を開設しました。 新型コロナウイルス感染症対策本部 本部員会議• 岩手県新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針• 新型コロナウイルス感染症に関する県の対策• 岩手県新型コロナウイルス感染症医療体制検討委員会• 新型コロナウイルス感染症対策への寄附• 関連リンク• 添付ファイル 県が作成したポスターなどです。 ご自由にお使いください。 新型コロナウイルス感染症に関する岩手県からのお知らせを掲載したリーフレットを県内で配布しています。 新型コロナウイルス感染症に関する岩手県のお知らせを、6月13日(土曜日)の釜石新聞、14日(日曜日)の岩手日報、岩手日日新聞、東海新報に掲載しています。 新型コロナウイルス感染症に関する岩手県のお知らせを、5月10日(日曜日)の岩手日報に掲載しています。 新型コロナウイルス感染症に関する岩手県のお知らせを、5月2日(土曜日)の岩手日報、岩手日日新聞、東海新報、釜石新聞に掲載しています。 新型コロナウイルス感染症に関する岩手県からのお知らせを掲載したリーフレットを県内で配布しています。

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